信じる覚悟
今日は久しぶりに姉と電話で話しました。 以前お話しした事もある運動がビックリするぐらい出来ない(笑)でも頑張り屋の姉です。
姉は、自分が書いているこのブログをとても楽しみにしてくれています。 そしてこの日「楽しみにしてるのに毎日更新していない」とクレームを頂きました(笑)。 姉との電話を切り、すぐにパソコンを開きこうして書き始めています。 我ながら超素直な性格ですね(笑)。 いや、本当の事を言えば、自分の性格が素直なのではなく、姉とのやり取りが、自分の気持ちを素直にさせてくれたのだと思います。
フリーランスとして独立することを伝えた時、姉に「誰もがありのままの自分を大切に出来る世界をつくりたい」と目標になってるかどうかも分からない、どこに向かえばいいのかすら見えていない、そんな戯言に近い自分の夢を笑わず、適当に受け流すのでもなく、ただ一言「出来ると思う」そう言ってくれました。
口先の言葉ではないことは、目を見れば分かります。 「信じてくれる誰かがいるという事は、こんなにも心強いのか」そんなことを思いました。 信じてくれる人がいなければ、きっと自分を信じる強さなんてすぐになくなってしまいます。 これは、物凄く有り難い事なのです。 だって、考えてもみてください。 もしこれが逆の立場ならでしょうどうしてたでしょうか。 多分自分なら、根拠もビジョンもない、この無計画な妄想の『計画性のなさやゴールの曖昧さ』を理詰めで相手に突き付けて、具体性を求めていたかもしれません。 例えそこにどんな想いが隠されていたしても、そんな想いなど見ようともせず、自分の中の正論を正義の鉄槌のように浴びせていたと思います。 そしたらどうなるのでしょう。 想いが汲取られなければ、想いが届かないと感じてしまいます。 想いが伝わらなければ、伝えることを諦めてしまいます。
信じる事が力になる。 分かってはいても、信じることは難しい。
かつては自分にも部下がいて、教育したこともありました。 でも、今思えば、無茶振りしたら部下が可哀そうだからと、任せた現場も出来るだけ細かく指示書をつくり、マメに連絡を取り様子を確認し、必要とあればすぐに現地に行っていました。 おかげで、いい上司だと言われましたが、本人のみでアクシデントに対応することが出来なくなっていきました。 そして、とうとう職場を去っていきました。 後日引継ぎの挨拶で顧客を回っていると、ある会社の担当者様から「やっぱ辞めたんだ」という言葉がありました。 不思議に思い「何でやっぱりなんですか?」と聞いた時「仕事、つまらなそうな顔してやってたから」と教えてくれました。
正直、その時は、自分の新人教育の何がいけなかったか分かりませんでした。 でも、今なら分かります。 信じて、見守る事。 そして、見守っているから思いっきりいけよ!と伝える事。 悩む機会を造らなかった事。 その悩みを共有する事。 どれも本当に信じることが出来れば容易いことだと思います。
でも、信じるには勇気がいります。 見守るには覚悟がいります。 そのどちらも、当時の自分にはなかったと思います。 では、今の自分にあるか?と問われると、正直分かりません。 というか、自信などまったくありません。
8月に姉と京都に行く約束をしました。 その時に、どうしてあんなにまっすぐに信じる事が出来るにかと、聞いてみようと思います。
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