定義とは何か 誠実とは何か 真摯とは何か

子どもの体操の先生をやっていると、「子どもが好きか?」と問われる事が多いんです。
自分はいつも、その問いに戸惑ってしまいます。
勿論、指導で関わる生徒は、どの子にも思い入れがあり、とても可愛いと思います。
凄く好きです。
でも、例えばその辺の道を歩いてる子を見境なく、可愛いと思う訳ではないし、好きでも嫌いでもありません。
なぜなら、そんな感情を抱く程その子の事知らないからです。
子どもだって100人いれば100 人分の個性があるし、どう一括にしたらいいのか、未だによく分からないのです。

それに、なぜ「子どもは好きか?」と聞かれるのに、なぜ「大人は好きか?」とあまり聞かれないのでしょうか?
不思議で仕方ありません。 皆、何をもって子どもと言っているのでしょうか…

定義(ていぎ)は、一般にコミュニケーションを円滑に行うために、ある言葉の正確な意味や用法について、人々の間で共通認識を抱くために行われる作業ですが、一般的な感覚を持ち合わせていない自分の場合、逆に不信を招く事すらあるのです。

想像してみて下さい。
自分の子どもに体操を教えてる先生に「子ども好きですか?」と聞いた時「分からない」という答えが返って来たらどう思うでしょう。
嘘でも、精一杯の笑顔で「子ども大好きなんです」と言い切った方が、安心感を得られるとも思います。
でも自分は「自分の関わってる生徒は好きですよ」と答えてしまうんです。 
それは、嘘偽りない気持ちと言葉で子どもやそのお母さんと向き合いたいと思っているからです。

例えすれ違うと分かっていても、自分を貫いてしまいます。

とはいえ、言葉の裏にある誠実さも真摯さも、伝わらなければ、ないのと一緒であるとも思います。                       

相手に寄り添う事を考えれば、取り繕ってでも、安心を提供するべきなのでしょうか。            

何が誠実で、何が真摯なのか…

その答えは、未だに見付かりません。

だからこれからもきっと信じた道を突き進んでしまうと思います。