自信の意味

昨日は、とある勉強会の講座の最終回でした。                                       土曜日の隔週にあるその勉強会は8講座受講すれば終了となり、参加するためには、仕事を調整しなけらばならず、ギリギリまで仕事をしてから出かけたので、いつもギリギリか少し遅刻しての参加になってしまいましたが、なんとか8回の講座を修了することが出来ました。

今日は、その講座で出来た友達の話しをします。                                      彼は、25歳と若く、自分からしてみれば、これから何でも出来る可能性に満ち溢れている年代ですが、その25年の中で挫折も沢山経験していて、自信を失っていました。                               彼の口からは、自分を否定する言葉ばかり出て来ます。                                      そのせいか、あまり彼の笑顔を見た事がありません。                                             でも、自分は彼とはたった8回しか顔を合わせていませんが、いいところや頑張ってきたところ、結構見付けることが出来ました。                                                  それなのに、なんでこんなに自信がないのだろうと、見ていて少し悔しかったので、『友達になろうよ!』と、思わずドストレートに小学生のような声のかけ方をしてしまいました(笑)。                          いや、きっと今どきの小学生の方が、もっとずっとスマートな誘い方をすると思います。                     でも、スマートとは無縁なので、これが自分なのでしょう(笑)。

今日丁度読んでいた本の中に、こんな教訓がありました。                                                     【心の富】                                                          お金を失うという事は、小さな富を失うという事。                                       信用を失うという事は、大きな富を失うという事。                              しかし、自信を失うという事は、全てを失うという事である。

自信を失うという事は、全てを失うという事…これは、一度でも自信を失った事がある人なら、誰でも経験している感覚だと思います。                                                       でも、それが分かっていても、人は自信を失ってしまう事があります。                              自信を失ってしまうと、まだ来てもない明日が怖くなります。                                             自分以外の全てが幸せに見えて、また自分の不甲斐なさに落ち込みます。                                          そして、自分だけが生きている価値の無い人間に思えてしまいます。                                   自信を失ってしまったら、この世は地獄です。                                          そして、その地獄に落ちてしまったら、抜け出すのは容易ではありません。                                    経験しないで済めば、それに越した事はありません。                            でももし、その地獄を味わうという事に、意味があるとするなら、痛みを知るという事です。                      痛みを知れば、相手の立場に立てるようになります。                           

自分は、障がいという特性があり、相手の感情を想像することが苦手です。                         でも、小さい頃から不器用で挫折も多く、そのおかげで痛みを知る機会も多かったです。                   だから、なんとか今までなんとかやってこれたのだと思います。                                        また、挫折を多く経験することで挑戦する事へのハードルが低くなります。                          不器用なのは生まれつきです。                                               この不器用さと41年付き合ってきて、自分には不器用な事がただの短所ではないように思えてなりません。                 

自分にとって不器用さが人の痛みを感じるきっかけであり、粘り強さやチャレンジしてみる度胸を育てる要因になったように、今は短所に見える何かには、可能性が潜んでいるかもしれません。

今回友達になった彼にも、この事を少しづつでも伝えていけたらと思います。