疲れたと感じることが出来ない
こんばんは!
今日は、表題の通り、『疲れた』と感じることが苦手とは、どんな感覚なのかお話ししようと思います。
自分は、をから建築会社に居た時も幼児体育の会社を経営していた時も、現場に出る事がほとんどでした。
だから、頭を使うより、体力を使う方が得意です。 自分では、体力には自信があると思っています。 それが強みだとも思っています。
現に、41歳になった今でも、人からは「よく動くね!」と言われますし、体力を消耗する現場にも戦力として呼ばれます。
ただ、この体力への自信は、ある感覚によって成り立っているのではないかとも思っています。 それが、今日お話しをしようと思った『疲れた』と感じるのが苦手な感覚です。
とはいえ、自分も全く疲れない訳ではありません。 全力疾走した後は、思わず「疲れたー」と口にしてしまいます。
では、どんな時に疲れを感じないかというと…
自分でもクレイジーだなぁと思った瞬間があります。
自分は、DYIが趣味で、工具を集めるのも大好きです。 ある時、部屋に入りきらない工具の為に、庭に小屋を作り、工具を分類しなおして、収納しなおす事にしました。
午前中は仕事だったので、午後からしか時間は取れませんでしたが、それでも充分と判断して始めました。
始めたのは午後1時からでしたが、終わったのは、朝方の5時半でした。 それも、休憩は夕飯の30分のみで、文字通り一心不乱に取り組み、気付けば辺りは明るくなっていました。
勿論、こんなに時間がかかると思っていなかったので、翌日は普通に予定をこなしました。 その時も、疲れたという実感は、ほとんどありませんでした。
若い頃から、夢中になると、とことん根詰めてしまいます。 仕事でも、夜通し解体作業をして、次の日には千葉の現場に走ったりしていましたが、周りが思う程疲れたという実感もなく、ただ、休みになると急に気が抜けて体調を崩してはいたので、心は気付いてないだけで、体は悲鳴を上げていたのだと思います。 体調を崩すまでやみくもに働き、体調不良を休息をとるタイミングにしていました。
勿論あまり褒められたことではありませんし、このまま年齢が上がっていけば、こんなこと続けてはいられません。
そんなことは分かっています。
多分、疲れたという感覚を感じるには、(第3回目のブログで話したモノサシ | 発達障がいと診断された自分から見えてる世界 (benrinahito1130.com))優しさや可愛いという感覚を自分の中に育てたように、『疲れた』の感覚を育てることは可能です。
でも、どうしても躊躇してしまします。 『疲れた』なんて感覚をもし敏感に感じてしまったら、それでも『頑張る!』とギアを上げるのは、とてもしんどいと思います。 それに、自分は自分の弱さや自分への甘さを嫌という程知っています。 『疲れた』いう感覚に勝てるのだろうか… 体力を強みとしている自分にとって、それは恐怖です。
『ずっとこのままでいい』それは、まぎれもなく自分の本心です。 そして、この本心は多分、自分の弱さです。 でも、一方で体力は自分にとっての自信の源でもあります。
『ずっとこのままでいく』心に迷いはないはずなのに、葛藤してしますのは何故なのだろう。 もしかしたら、その答えを見付ける事で、成長の糸口を探そうとしているのかもしれません。
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