例え考えを寄せれなくても
こんにちは!
(突然ですが(笑))自慢ではないですが、自分はよく人を見ていると言われます。 気が利くとも言われます。
先日も、「A型ですか?」と聞かれました。 「O型ですが、何でですか?」と理由を尋ねると、よく人を見ており、かつ的確なコメントやサポートをするとの事でした。 その人のA型へのイメージは、随分偏っているとも思いますが、端から見るとそんな風に見えてるのだと知りました。
自分は、自閉症スペクトラム障害傾向にあります。 そのせいで、一向に人の名前と顔を覚えません。 ただ、人見知りは全然しないので、誰とでもあまり躊躇せずにコミュニケーションを取ります。 だから、自分では『人に興味がない』のだと思っていました。
でも、ある人がそんな自分を見ていて、「人に興味が無いのではなく、人の評価を気にしていない。そんな風に見える」と教えてくれました。
その言葉を聞いて、改めて自分を客観的に見てみました。
確かに考えてみれば、自分の感覚は人とズレてるのを自覚しているので、相手の主張と自分の主張が違っていても、どちらが正しいのか…という考え方がありません。 寧ろ、別の角度からの主張を聞くことで、自分の中の引き出しが増えたように感じています。 だから、例え自分の主張が反対されたとしても、「そういう考えもあるよな」と白黒つけようとは思いません。
自分にとって反対意見は、自分以外の人の目を借りて物事を見るチャンスだと思っています。 この人は何でこんな事を言うのだろう、どんな風に感じているのだろう、どんな想いがあるのだろう。
そして、何が見えているのだろう。 そう考える事で、新しい角度で物事が見れるようになります。 隠されていた能力にも気付くことだってあるかもしれません。 そう考えています。
きっと、だから人から評価される事に、そんなに重きを置いていないのだと思います。 そして、人に対して、そんなに執着心が湧かないのは、人の個性は様々で、順位なんてつけようがないからです。
我ながら冷めてるな…と思う時もありますが、それが人を選ばず、平等に接する事に繋がっているので、何が幸いするのか分かりません。
ただ、ひとつ誤解のないように言うと、自分が誰かと関わる時は、きちんと相手の事を考えています。
人の感覚が分からないからなおの事、表情や仕草を見て、直前の出来事も加味して、めちゃくちゃ考えています。 冒頭でお話しした(あくまでその人の勝手な想像ですが)「A型に見える」というのも、感覚がズレていると、苦手を自覚しているからこそだと思います。
人は、対立する意見があると、つい「自分の考え」と「間違っている考え」と思ってしまいがちですが、本当にそうでしょうか? その人にとっての正論に目を向け、耳を澄ませると、正しいとか間違いではなく、相手の想いが見えてきます。
勿論譲れないものがある時は、敢えて考えを寄せていく必要はありません。
でも、例え考えを寄せる事は出来なかったとしても、心を寄せていく事は出来ると思います。 そして、心を寄せていく事で、お互いが許し合えることもあるのではないでしょうか。
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