おてんとうさまが見ている
こんばんは!
今日もオリンピックネタで恐縮ですが…
今日移動中の車内で竹中直人さんがオリンピックの開会式を辞退したというニュースを見ました。
障がい者を揶揄した場面があった作品に作品に出演したという過去がその理由でした。
当然ですがその当時、バッシングはあり、何度も謝罪を重ねたそうですが、度重なるオリンピック関係者の不祥事に事態の深刻さを鑑みての判断という事でした。
実際に自分はその作品を見たことはないので、どの程度のものか分かりませんが、「目くら」や「ツンボ」や「ビッコ」といった言葉が使われていたようです。
今や何の言葉かすら分からない程、現代では使われなくなった言葉なので、何がダメなのかピンとこない人もいるでしょう。 ただ、逆に言えば、その言葉が使われなくなった背景には、その言葉により傷ついた人がいたのだろうと思います。
過去の過ちは一生背負うべきものなのか…
自分はこう思います。
どんなに時間が経ってても、当時謝罪をしたとしても、口から出た言葉は消えないし、その言葉が誰かの心を抉ってしまったなら、その傷は消えることはないでしょう。 それよりも、何よりも、自分自身の言葉や行動は、自分が一番知っています。 だから例え世間が忘れたとしても、深く後悔すれば自分自身が忘れられないのです。
今回、竹中氏が辞退するという決断をしたという事は、彼自身が、自分の罪を忘れず、生きてきたからなのだと思います。
だから、過去の過ちを一生背負うかどうかは、自分にしか決められないと思います。
人は過ちを犯します。 間違える事だってあるでしょう。 その過ちや間違いとどう向き合うかでどう背負って行くか変わります。 そして、その都度都度の向き合い方や背負い方が、今の自分を作ります。 だから、自分は例え誰かが見ていなくても、自分が見ている事を意識して行動するようにしています。
古臭い事を言うようですが、それが『おてんとうさまか見ている』という事ではないでしょうか。
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