なりたい自分
こんばんは!
コロナのワクチン接種の副反応からの突貫工事の現場作業にて更新をサボってしまいました。
完全に言い訳です!すみません‼‼‼‼‼
今日何気なく歩いていると、切断されて腕が無い人とすれ違いました。 そして、ふとその時に目のやり場に困ってしまった自分に気付き、愕然としました。
すれ違っただけの人であるという事は、勿論その人の人生なんて知りません。 その人にとっての人生の喜びも、逆に辛さも何も知らないのに、勝手に気を使ってしまったのです。
村中直人氏の『ニューロダイバーシティの教科書』という本の中に、聞こえの「障害」と「ろう文化」という話しがあります。
耳が聞こえないが故に、視覚的な世界に生き、独自の文化を持っているそうです。 そして、当事者たちは、その文化やろう者であるというアイデンティティを大切にしている方も多くおられ、「生まれ変わっても、ろう者といて生きたい」そういう考えの方もいるそうです。
確かに、耳が聞こえなくて不便そうだな…というのは、耳が聞こえる自分の思い上がりです。 何故なら、彼らにはちゃんと手話という言語があり、手話が出来るもの同士なら、コミュニケーションに困る事はありません。 聞きたくもない噂話や卑しい言葉も聞かなくてすみます。 なんだか自由ですね。
発達障がいを『障がいではなくバリエーションだ』と偉そうに言うくせに、腕が無くては不便だから可哀そうと勝手に決めて気を使ってしまった自分。
自分が発達障がいだからこそ得た物があるように、その人だって腕を失ったから得たものだってあるはずです。
なんか、自分ちっせーなぁ。。。
とは思うけど、仕方ないです。
それが現実。
気付いた瞬間から、少しずつ、一歩ずつでも、なりたい自分に近付けるように、しないとですね。
頑張れ自分‼
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