不器用なりの生き方

2021年8月12日

久しぶりに姉に会いました。

姉は、一念発起して今は働きながら看護学校に通っており、忙しい身なので、中々会う機会はありません。

そして、会えたとしても、次々予定を組み込むタイプで、家に着いてからも終始慌ただしく行動し、ゆっくりするという概念は、姉の中にはないのかもしれません(笑)。                                                       だからこそ、年齢や今までの経験に怯まず、42歳にして、新しい事にチャレンジできるのでしょう。

そういう自分も、建築やスポーツ指導にEコマースのコンサル等、かなり幅広い職種の事業に取り組んでいます。                                                     その結果だけを見て、何でも出来る多才な人と評価してくれる人もいます。                           そんな評価は有り難くもあるのですが、昔から人より不器用で、物事を習得することに時間がかかっていた自分からすれば、多才なんて滅相もありません。                                         不器用だから、時間をかけながら習得してきたに過ぎません。

ただ、姉や自分の新しい事に飛び込む姿勢は、不器用で人より習得に時間がかかるからこそ、得たものだと思います。                                                       初めから上手くなんかいかなくて当たり前だし、時間がかかるのも当たり前、そんな自分にドップリ使ってきたからこそ、失敗や挫折への免疫が高く、失敗を成功の道のりへの挑戦の通過点というある意味能天気な(笑)捉え方をしています。                                             

一回り以上離れた(不器用な)後輩がこんな事を言っていました。                        「不器用な人の方が結局は伸びると言ってくれる人もいるけど、やっぱり器用な人が羨ましいと思う」

まぁスマートにかっこよく、効率的に色々な技術や知識を習得できるのであれば、余計な苦労などしたくない!…そんな考えもあると思うし、出来る事ならそうでありたいと願う人の方が大半だと思います。

でも、もって生まれたものは、どうしようもありません。                            人は、与えられた条件の中で生きるしかありません。                                        ないものねだりを思わずしてしまう気持ちも分かります。

でも、自分は小さな努力の積み重ねの中で、学びながら成長する実感を得られる喜びを知っています。  

自分が不器用だからこそ、周りの支えに気付き、また、自分も誰かの力になりたいと思えもします。                                             

だから、開き直りと言われても、これからも自分のポンコツさを笑いに変えて、不器用は不器用なりの自分の生き方を模索していきたいと思います。

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Posted by benrinahito