言葉を磨くは心を磨く

コロナ渦ではありますが、パラリンピックが始まりましたね。

開催については賛否ありますが、選手へのリスペクトは、変わりません。

今回の東京パラリンピックにも出場している視覚障がいマラソンの選手がいます。 

笑顔が印象的な道下選手です。                                         

彼女は去年の母の日に本にメッセージを添えて、贈った言葉があります。                 『目を悪く産んでくれてありがとう』

彼女の目の病気は、先天性のものではなく、13歳で右目、25歳の時には左目にも症状が出て、今では殆ど見えなくなっているそうです。                                                    見えていたものが見えなくなるって、しかも徐々に…どんな気持ちでしょうか。                           どんなに恐怖だっただろうか、想像もつきません。                                           目の見えない人の世界観は、目を閉じただけでは分かりません。

分かる訳なんてないけど、つい考えてしまいます。                           自分なら『目を悪くして産んでくれてありがとう』そんな思いやりいっぱいの言葉を言えただろうか。

実際彼女は、過去に視力を失うにつれ、両親に強く当たることもあったと言います。                  多分それもその時の本心だったと思います。

言って後悔したとしても、言わずにはいられない程の不安や恐怖、どれほどのものだったのでしょう。        

『目を悪くして産んでくれてありがとう』                                      その言葉には、感謝というだけではなく、両親に向けた言葉への後悔や乗り越えた先に見付けた彼女の世界や幸せが感じられるから、こんなにも心に響くものなのだと思いました。

同じ言葉でも、発する人が違うだけで、全然違って聞こえてきます。                         言葉は、その人が背負ってきた重みが表れているように感じます。                              よく『言葉を磨く』と言いますが、それは口八丁手八丁で、テクニックを磨くというのではなく、人の本質そのものを磨かなけばならないのだと思いました。

そう考えると、言葉とは、一朝一夕で磨かれるものではなく、一日一日を大切に、自分に与えられた条件の中で一生懸命生きていく事でしか、身に付かないものだと思いました。