共存する意味

2021年6月28日

こんにちは!

今日は、自分が発達障がいなんだと告げた時の周囲の反応についてお話します。

発達障がいという、ネガティブなイメージを持つ言葉ですが、
自分は普段から、そのことを隠そうとは思いません
寧ろ、自分から進んで話す事により、相手の興味を引き出す共に、
感覚の違いを発見するためのコミュニケーションの一つです。

自分を発達障がいだと告げた時、
「発達障がいに全然見えないよ!気にしなくても大丈夫‼」
「発達障がいって有名人多いじゃん!だから気にすることないよ‼」
反応は、だいたい大きく分けて2パターンになります。

多分どちらの言葉も優しさからくる言葉であろうと思うし、
思いやりを持っているからこそ出る言葉なのだと思います。

ただ、当事者の心境は複雑で、そこにはある2つの違和感が存在します。
自分は発達障がいに見えたくない訳でもなければ、偉人や有名人になりたいわけじゃなくて、
ただ、人として、当たり前に自分らしく生きていきたいだけなのです。

1つ目の違和感は、「大丈夫‼」という言葉です。
           ↓
「大丈夫」の言葉の裏に発達障がいという特性を持つものとそうでないものを
優劣として振り分けている潜在意識が存在するように感じます。
これは、誰のせいでもなく、今の日本社会の価値観がそうなのだと思います。
そして、その価値観を変えたいのであれば、当事者の努力も必要な要素の一つです。
一方的に理解を求めるのではなく、こちらもまた相手との感覚の違いを観察し、
理解する努力をする事がものすごく必要であると思います。
でもそれって、発達障がいの特性を持ってようがなかろうが、
人と人とのコミュニケーションの中で必ず必要となってくる要素でもあります。
ただ、そこに大きな感覚の違いがあった場合、人はすれ違い、溝が出来てしまうのだと思います。
感覚のズレは、目には見えず、なかなか言葉では説明できません。
それどころか、ほとんどの人が、自分の持っている感覚は他の人と違うかもしれないという可能性を意識すらしていない様に感じます。

2つ目の違和感は「有名人に多いから」です。
           ↓
確かに発達障がいという脳派に偏りをもっ特性は、得意な分野に的を絞り、特化することで、
その道で結果が出しやすいという一面もあるかもしれませんが、その偏りにより、             環境によっては、短所のみに注目されることも多く、自信を失ってしまう人も多いと聞きます。

成功者の前例は、もうすでに自信を持っている人とっては刺激にも目標にも希望にもなるでしょう。

でも、今何かをきっかけに、自信を失っている人にとって、遠すぎる目標は時として残酷です。

発達障がいの希望の星は、エジソンや坂本龍馬やビル・ゲイツや米津玄師、
探そうと思えばいくらでもいます。
でもその遠すぎる目標と自信を失った時の自分とのギャップは、絶望を植え付けるには十分です。

成功者は、発達障がいという特性を持とうが、持ってなかろうが、一定数いると思いますし、
発達障がいという特性を持っているから、何かを極めなければいけないというものでもありません。

自分は残念ながら希望の星とは程遠いかもしれませんが、
せめて自信を失って下を向いてる人の視界に入る程の等身大の位置で、
汗水垂らして現場を駆けずり回りながら、それでも生きる事を楽しんで、
ずっと本気で笑ってやるって、そう思います。
そして、「あいつ大変そうだけど、何かよく分からんけど、いつも楽しそうだよな。
まぁあんな感じでも何とかやってけるんなら、人生なんとかなるよなぁ」
って思って貰えれば本望です。
そんな生き方がしたいと思います。

そして、こうも思います。
偉人になれる可能性を秘めてるから存在する意味があるわけじゃなくて、
自分らしく生きていく中で必要としてくれる誰かが自分に存在する意味をくれるのだと。

自信とは、自分を信じると書きますが、信じてくれる誰かが自分に力をくれるのです。
その誰かを一人でも増やすために、日々努力していこうと思います。

次回は、感覚が違うという事は、どういう事なのか、人生の中で今まで感じてきたことや、
見付けてきたことを、例えを交えながら、出来るだけ分かりやすく、伝えていきます。