舐められるって何ですか?
子どもと接する時、見た目が幼いせいか、あまり目上の人だと意識されずにいる事が多くあります。
その様を『舐められている』と表現する人もいますが、自分はそもそも子どもにとっての目上の人であるつもりも尊敬を集められるよな絶対的な存在だとは思っていないのです。
ただ、スポーツは得意なので、教えられることはそれなりにあります。
それだけです。
子どもはちゃんと意味のあることであれば理解してくれるし、きちんと守ってくれます。 伝えたい事が伝わってさえいれば、それ以上の事は、自分にとっては無意味なのです。 別に尊敬の念を言葉や態度など、望んでいないのです。
そもそも『舐める』とはなんでしょうか…
もちろん、相手をぺろぺろ舐めることを言っているのではなく、「日本語俗語辞書」によると、なめるとは相手やある物事を馬鹿にしたり、みくびったり、軽んじる、蔑むといった行為で、戦国時代には既にこうした意味で使われていたと書いてあります。
つまり、何の毒にもならない、食べても大丈夫・・・なほど「軽んじること」という訳です。
例えば、子どもたちがタメ口で話しかけてきたとして、相手を軽んじている事になるのでしょうか?
子どもたちが人を小馬鹿にしたり、蔑んだり…少なくとも自分は、そんな荒んだ子どもなど、見たことはありません。 多分そこには、先生は尊敬されるべき存在であるという価値観があるのだと思います。 ですが、自分には必要ありません。
別に尊敬して欲しくないという訳ではありません。 ただ、尊敬の気持ちというのは、強制するべきではないと思います。 41年も生きていれば、多くの尊敬する人と出会います。 でも、それは強制ではなく、彼らの立ち振る舞いや考え方を見て、素直に学ぼう・背中を追おう!と心から思えるからです。 つまり、尊敬とは、自然に心に湧き上がる感情なのだと思います。
だから、誰を尊敬するかは、本人の自由です。 そんなことは強制したくない。 そう思っているから、子どもから『青ちゃん』と呼ばれても、怒る気持ちに到底なれず、まぁいんじゃない…ていうのが本音で、でも礼儀も教えなければいけないとも思うのですが、そんな気持ちの狭間で、悩んでしまう今日この頃です(笑)。
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