目の前の現実は、事実ではないかもしれない

2021年10月10日

今日家に帰ると父が「猫語が分かるアプリがあるって聞いたんだけど、どうやってやるんだ?」

我が家は、リオとムサシという名の二匹の猫を飼っています。                           どうやら、父はリオとムサシの気を引きたいらしい(笑)。                           言葉が通じないからこそ、あの手この手で、相手の心の中を探ろうとするのでしょう。                      そんな簡単に分かる訳ないのに。

猫も人間も。                                

以前、発達障がいの子どもの運動指導をしていた時、子どもの教育や接し方など、相談を受ける事がよくありました。                                                               残念ながら、明確な答えなどありません。                                          ただひとつ言える事は「その子の良心を信じて、悪気が無いという前提で前後の状況をよく観察し、耳を傾け、その都度答えを出していくしかないのです。

よく、周りの大人に余裕がなくなるとその子の問題行動ばかりがピックアップされてしまいますが、目の前で起こったそれは現実ではありますが、事実ではないのかもしれません。

発達障がいは、『神経発達症群』の概念に中に位置づけられている通り、神経系の発達の偏りにより起こりるので、協調運動(体の様々な動きを使って、一つの動きを行う事)が苦手な子も多いのです。  

つまり、手先が不器用な子が多いと言えます。

例えば、力の加減やコントロールが難しい子がいたとします。                                友達と遊びたくて、誘う為の言葉が上手く出てこなくて手を掴んで引っ張ったとします。                      力の加減が出来ないので、その動作は、ひどく乱暴に映ることでしょう。                  誘われた子の掴まれた手も、引っ張られた腕も、痛くて痛くて、「本当は一緒に遊びたかったんだ」なんて気持ちは届くはずもなくて、友達同士から、加害者と被害者になってしまいます。

でも、当人からすれば、みんなと同じようにしているつもりなのに、自分だけが理解されず、自分だけが周りから責められる、理不尽な世界なのです。                                             子どもにとって、いや大人にとっても、こんな孤独はありません。

力の加減は、ゆっくり根気よくやれば、月日は掛かっても、身に付いて行きますが、そこに気付かれなければ、ずっと乱暴者のレッテルを貼られたまま、心が荒んでいくしかありません。

大切な事だから何度も言いますが、目の前の現実は、事実ではないかもしれません。

大切なのは、人の良心を信じ本質を見極めようとする心構えなのだと思います。

因みに、猫語の翻訳アプリは、有料なので辞めたそうです(笑)。