選べなくても

少し前に『親ガチャ』という言葉が話題になりました。

親は選べない、という意味らしい。

生まれつき与えられた能力や環境は確かに大きい。

たどり着きたい場所があって、それに向かって歩こうとしても、スタートラインが違えば、かかる時間も違ってきます。

そんなことは、41年も生きていれば、嫌という程感じる事です。                         でも、こうも思います。                                                 スタートラインがどこにあるのか、不平等だと嘆いても何もなりません。                      大切なのは、どこからスタートするのかよりも、自分の進みたい方向を自らの意思で決めて、そこに向かい一歩一歩進むことです。                                                   

一日に進むのがたった一歩でも、一年たてば365歩にもなります。                                    十年もすれば3560歩になります。                                                   一歩は小さくても、その積み重ねは、決して馬鹿に出来ません。

そして何より、その一歩は歩数を稼ぐ為のものではなくて、やがて血肉となり、その人そのものになるのです。

自分は、ADHDや自閉スペクトラム症という特性を持って生まれてきましたが、一歩を大切にすることで、自分らしくある事の意味を見付けました。

自分が普通だったら、なんて無い物ねだりをしていたら、きっと見付ける事は出来なかったと思います。

確かに親は選べないことで、格差社会がなくならないという人もいます。

でも、例え親は決められなかったとしてもも、幸せかどうか決めるのはいつだって自分自身なのです。