願わくば

仕方のない事ですが、発達障がいという特性を持つという事は、まだまだ理解が得られず、治療するのが最善とする風潮が根強く残っています。

先日、あるADHDと診断された子どもを持つ保護者の方からこんな話を聞きました。                 ADHDも最近は治療法があり、電磁波を頭に30回あてることで一般的な脳波に近付くというのです。          その治療法に効果があるかどうかはさておき、やはり発達障がいという脳波の癖は、治療が必要だという考え方が一般的なのでしょう。

自分は、『発達障がいとは、治るものでも治すものでもない』そんな信念を持ってやってきたので、少しいや、滅茶苦茶悔しいです。                                                 確かに、発達障がいという特性を持つ当事者にとっては、日本の社会は生きにくいと感じています。

でも、だからと言って、この個性は、自分にとっての武器でもあると思っています。                そして、それを否定するという事は、自分を否定する事でもあるのです。

一方で親にとって、なるべく苦労の少ない人生を…と願う気持ちを一概には否定も出来ません。

でも、願わずにはいられません。                                       そうか、一般的という普通という一見生きやすそうなモノに惑わされて、その子の個性が見落とされ、蔑ろにされませんように。                                                       その子が精一杯じぶんらしい人生を歩むことが出来ますように。