ただ普通に

最近、新しい友達が出来ました。                                        年齢は、若干年下で、でも、もう成人している子どもの母親で、シングルマザーでもあります。

出会った時、ほんの少し事情を聞いただけで、『頑張ってきたんだな』と、今思い返しても、ありきたりで陳腐な労いの言葉を掛けました。

それに対して、彼女は『別に…頑張ったというか、ただ普通に暮らしているだけ』だと言いました。

自分の中にある固定概念や先入観は、いくら労いの言葉というオブラートに包んでも、透けて見えてしまいます。

地に足が付いた価値観や、人生の選択を他人のせいにせず全て引き受けてきた事が感じられる芯の強さや、裏表なく自分を飾る事のない等身大の自分を受け入れているような覚悟とか、相手をきちんと見ていれば気付けたはずなのに…       

自分は、色眼鏡で人を見ているつもりはなかったけど、経験則や巷のなんとなくの評価というくだらないフィルムのようなもので、相手を見るようなことは絶対にしない。。。そう決めていたのに、フラットな視点・フラットな気持ちで世界を見る事は出来ていないようです。

そういう自分だって、発達障がいに引け目を感じていないのに、気を使われる事に対して違和感を感じていたのに、立場が変わると、途端に忘れてしまう。 

何をやってるんだか…                                         まだまだ修行がたりないようです。