目に見えないくらいの一歩でも

先日通院している大学病院で知能テストなるものを受けました。

そのテストを通して、苦手な事・得意な事を把握し、今後の生活に活かすという趣旨で受けました。

一年前にも知能テストを受けていますが、特に数字配列の短期記憶と暗記しながら何かを考えるという事がとても苦手でした。

なので、あれから自分は欠かさず殆ど毎日、脳トレをやっています。                        一年が経ち、結果を見ると、苦手な事と得意な事の出来・不出来の差は、一年前に比べ、小さくなっていました。 

ADHDだから、自称スペクトラム症だから、仕方のない事なんだ。                         だから、なるべくストレスにならないよう、苦手な事から遠ざけよう。                         そう考えるドクターもいます。

でも、自分は、特性は変わらなくとも、気を付けるポイントや努力の角度を自分のあったものにカスタマイズしていければ、ある程度は緩和されるのではないかと思っています。

そう思えるのは、自分が指導している子どもたちが、何度も何度も奇跡を見せてくれているからに他なりません。                                                                   運動神経なんて神経は、存在しないし、遺伝もしないのです。                            子どもの運動能力に差が出るとすれば、運動神経ではなく、筋肉の付き方と器用・不器用と、成長の速度や赤ちゃん時の生活であると思います。

だから、運動神経はないとは言え、運動の得意不得意は、個人差がかなりあるのです。                               中には、正直最初に動作を見た瞬間、かなり時間や労力が必要だろうと、気が遠くなる場合もあります。        でも、子どもはずっと同じ場所にはいないのです。                              毎日毎日少しずつ、気付かないくらにでも前へ進み、いつも奇跡を見せてくれるのです。

確かに、筋肉の質や器用な子は、何でもすぐに出来るようになりますが、周りの結果に諦めることなく続けた努力とその経験は、それを上回る価値があると思っています。                                 何故なら、人生はまだまだ始まったばかりだし、人生は大抵は思い通りにならず、その思い通りにならない人生でも、めげずに歩みを進めていく、そんな強い心を育てる事が出来るからです。

何年かかっても何十年かかっても、例え進めるのは1㎜だったとしても、目に見えないくらい小さな一歩だったとしても、諦めずに続ける事で、たどり着ける場所もあるのだと…

それが自分が子どもたちから教わった事です。