ほんの少しの
引きこもりの我が子を立ち直らせるために、外部の業者に1000万という高額で委託して、その結果我が子を無くした高齢女性の記事を読みました。 自分が生きているうちに何とか我が子を立ち直られたいという切実な願いに付け込んだ極めて悪質な事件だと思います。
記事の中のどこか遠くで起こっている出来事ではありません。 自分の知人にも、もう30年も引きこもって出てこれなくなっている人がいます。
一歩間違えば、きっと誰もが陥る可能性があると思います。
その一歩は、何の差なんだろうか。
ほんの少しのタイミング
ほんの少しのすれ違い
ほんの少しのボタンの掛け違い
ほんの少しの…
ほんの少しの差は、一体何の差なのだろうか。
昔、誰かが言っていた『神様は、乗り越えれる者にしか試練を与えない』という言葉に、自分自身励まされてきたことがあるけど、そんな根性論だけではどうしようもない事もあります。
長い人生、辛くて辛くてどうしようもなくて、つい逃げてしまう事もあるのだと思います。
そんな時は、逃げる事も、休む事も、必要だと思います。 でも、立ち直るきっかけやタイミングはどうやって見付ければいいのだろうか。
人は逃げ出したり休んでしまった時、罪悪感を抱き、そんな自分を責めて、自信を失います。
自分も以前、心を削られる日々に毎日毎日ただただ時間を過ぎるのを待っていたような環境で過事があります。 その頃の自分は、その環境で、3年耐える事だけを目標にしていました。 そして、3年経った頃、準備していた言い訳を伝え、その環境を離れました。
それはどう取り繕ろおうが、逃げでしかありません。 でも、自分本位な目標ですが、3年という分かりやすい目標があったことと、そのあと心を休める期間と称して、職業訓練に通い自分なりに次の目標を定める時間を持った事で、逃げをネガティブなものではなく、なんとなく通過点に出来たのは大きかったと思います。
試練を乗り越える力があったのか、たまたまほんの少しの運が味方してくれたのかは定かではありませんが、今こうして曲がりなりにも楽しく生きていけている事に感謝しなければならないと思いました。
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