生き方

先日手摺を取り付けのお母さんから嬉しい言葉を頂きました。

『リハビリの先生が実際訪問されて手摺を見て貰ったんですけど、凄くちょうどいい高さだと言ってました。手摺を付けてから、廊下で一度も転ばなくなったんです。ありがとうございました』

それはとても嬉しそうに報告してくれました。

そのご家庭には足の不自由な小学生のお子様が居ます。

手摺の取付を依頼された時に一度訪問して、聞き取りながら高さを決めてはいましたが、取り付ける時に、実際の手摺を触ってもらいながら、もう一度確認しながら取付けをしました。

何度も何度も慎重に確認するのは、もしかしたらそのお子様にとって負担になるのかも…とも思いましたが、目的は手摺を付ける事なんかではなく、今よりも快適な生活と子どもに自信と笑顔をというご両親の想いに少しでも寄り添う事なので、そこは協力してもらいました。

生産性云々の話しをすればとても褒められた仕事の仕方ではないのかもしれないけど、生産性云々で仕事をするのが自分が貫きたいの仕事への向き合い方とは別の所にあるので、個人でやっているので、これはこれで有りだと思っています。

そしてこうも思います。                                         仕事において効率や生産性に軸を置いて考えてしまうと、『この先どこに向かい、どんな世の中にしたいのか』『そのために自分には何が出来るのか』そんな志は、おざなりにされてしまいます。              だから今日の日本にはやらされてる感満載で仕事をする人が多いのではないのでしょうか。

ただ、ひとつ言えるのは、効率や生産性の方法論やマニュアルは、企業側が従業員の生活を守る為に考え出されたものであり、そこには一つの信念が存在します。

だから、なんていうか、どっちが正しいとか、どっちが良い悪いなんて話しではなく、どういう生き方がしたいかなのだと思います。

自分は『誰もがありのままの自分』を大切に出来る社会にしたいと思っています。

自分でも笑っちゃうくらい大きい事言ってるなぁって思います。                        でも、誰だって何もかもすっ飛ばして何かを達成できるわけではありません。                    今自分に出来る事ひとつひとつに真摯に向き合って、ひとつひとつやっていく以外ないのです。

今の自分に出来る事は、目の前のひとりひとりに心を寄せて、その人の中に眠る自信の種を見付けて、その種を育てるキッカケを作る事です。                                      とても地道な事です。                                           それを続けたところで、生きているうちに『誰もがありのままの自分を大切に出来る社会』が見えるのかなんて分かりません。                                                でも、その地道さを端折って叶うものなど無いのだと思います。

それに、例え自分が生きているうちに叶わなくとも、この地道な事を続けて行けば、想いは受け継がれていくと思っています。

だから、一歩一歩は小さくても、その一歩一歩を大切に出来る生き方がしたいと、いや、しよう、と思います。