サポートの受け方

ADHDと診断された7歳の男の子のお母さんから、電話がありこんな相談を受けました。

そのお母さんは、子どもがADHDと診断され、ADHDとは何ぞや…から、熱心に勉強され、一生懸命子育てに取り組んでいます。                                             膨大な知識を一気に吸収しようとするあまり、少しだけ頭でっかちになりがちで、この場合はどうすればいいのか…こういう場合はどうすればいいのか…と、マニュアル的なものを求めがちです。            

一口にADHDと言っても、人の数だけ特徴もあるし、起こりうるお困り事もトラブルも環境に左右されるので、まずは、その子の良心を前提に前後の出来事を観察して欲しい、やり方に囚われるより、その子としっかり向き合う事が何より大切だと伝えてきました。

お母さんも、その意味に気付き始めていて、段々その子との関り方を掴んできたようで、上手くいった出来事を嬉しそうに話してくれました。

1例を上げれば、公園で、遊んでる姿を遠くから観察しながら、何かが起こる前兆を察すれば、近くに行って背中を摩る事で、興奮状態にならず、トラブルを抑止出来ているそうです。

それで万事解決か…

そんなわけにもいきません。

小学校では、30人近くの生徒を教師一人で見なくてはならず、起こるトラブルの解決を家庭でどうにかしてくれという趣旨の話を学校からされたようです。                              教師の立場からすれば、クラスをまとめていくのに必死で、ひとりひとりの個性になど関わる余裕などないのでしょう。                                                  お母さんもそれが分かるが故にサポートの受け方に悩んでいました。

日々生活する中で、その子の事を深く理解している大人が周りにいる環境ばかりではないのです。          多くの発達障がいと診断された子どもやグレーゾーンと言われる子と接する中で感じたのは、偏った知識のみが独り歩きし、誤解・無理解で、教育現場で煙たがられる存在になっているという事です。

教育者と言えど人間なので、自分が理解・コントロールしきれない子どもに手を焼くのを責めるのは酷な話です。                                                だって、余裕のない環境に置かれてる人に、サポートしてくれなんて「こっちが助けて欲しいわ!」ってなるでしょ。                                               とは言え、それで子どもの自信喪失に繋がるのは、何としても避けなくてなりません。

何をどう伝え、どんなサポートを受けるのか…

この辺は、大きな課題だと思います。