価値観
大学入試の全国共通テストで残念な事件が起こってしまいました。
勉強に行き詰った高2の生徒が3人の人を刺すという事件が起こってしまいました。
きっと目標を持って必死に取り組んでいた末に、どうしようもない絶望感にやり場のない感情に支配されたことなんだと思います。
こういう事件が起こると、『自分が追い込まれたからといって、人を傷つけてはいけない』と正論を言う人がいます。 それは、まっとうな、ごもっともな意見だと思います。 まったくの同感です。 でも、『人を傷つけていけない』という事に対して、『それがダメな事だなんて知らなかった』なんて人は、多分いないのではないだろうか。 だから、ダメだと分かっていてもその一線を越えてしまう程追い詰められた人には、そんな分かりきった正論など届くわけもなく、といって、人生の中で、その一線を越えてしまう程追い詰められた経験など無く、気持ちを理解して心を寄せることなど、到底出来そうもない。
そんな自分にただひとつ言える事があるとするなら、学生の時に見ている世界は、狭い(事が多い)。 だからこそ、子どもたちには、自分だけの価値を見付けて欲しいと常々思っている。 受験の勝ち負けや成績の良し悪しだけは、人の価値はは掛かれない。
勉強に才能が無くても、他の所に他の人には真似できない才能が眠っているかもしれません。
それが可能性。 誰の中にも眠る力です。
自分にはどんな可能性があって、どんな人生を生きたいのか。 それさえ見失わなければ、例え少々躓いたとしても、また立ち上がって歩き出せるし、道に迷ったとしても、その都度最善の道を探すことが出来るのです。
周りの意見や価値観に押しつぶされそうな時、思い出して欲しい。 その価値観は、本当に自分の物だろうか。
価値観とは、良くも悪くもその時々に関わった人からの影響を受けて作られていく。
だから、人生を生きて行く中で、ドンドン変わり続けるものなのです。
周りと比べて幸せを測っても幸せにはなれません。
どうか人を傷付ける前に、自分の価値に気付く事が出来ますように。
そう願って、自分は関わる子どもたちにはいいところを発見したら、伝えるようにしています。
サイコパスは別にして、人は、誰か傷付けたくて傷つけるのではありません。 その攻撃性は弱さです。 だから、自分の弱さと向き合う事はとても大切な事だと、自分は思います。
起こしてしまった事は、なかった事になど出来ません。 どうか、刺された方が一日でも早く回復されますように。
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