背負うという事

こんばんは!

連日、オリンピックの話題が尽きず、コロナの不安はあれど、アスリートの頑張りは素直に応援したいです。

少し前になりますが、体操の内村選手の予選落ちのニュースを聞きました。

自分自身の悔しさよりも、共にオリンピックの出場枠を争ったライバルに対しての申し訳なさを語っていたのが印象的でした。

やっぱり色々な想いを背負って戦っているんですね。

自分は、昔から勝ち負けにはあまり拘りがなく、かけっこでの順位にも執着せず、マラソン大会でも常に学年3位でしたが、それは結果そうだっただけで、それ以上上位を目指そうとは思いませんでした。                    

だから、2位が誰で1位が誰だったかも正直覚えていません。

そんな自分も中学の頃からサッカーというチーム競技を始めて、少しは勝ちに拘るようになりました。       

その中で、上を目指すという意識も芽生えてきました。

でも、個人競技を選択していたら、一生勝ち負けに拘る気持ちとは無縁だっただろう…                長い間、そう思ってきました。

本当にそうでしょうか…

自分も、レギュラー争いでポジションを勝ち取り、スターティングバーに選ばれた時、思っていたことは、控えの選手が、「自分が出た方がいい試合になったじゃん」そんな悔しい思いだけはさせたくなくて、味方のパスには全力で走り、時には身を投げ出し、足が吊るくらいまでとにかく動き回っていました。              

自分は、そんなに大した選手じゃないことは自覚していたので、出来る事はとにかく全力を体現することでした。

勿論、オリンピアンと自分じゃ比べるのが失礼な話ですが、世界中が注目する存在で、コロナ渦のオリンピックという事で、発言に批判があったり…、一体どれほどの重圧があったのだろうかと思うと、我がの為だけでは頑張れるものではありません。                                       その重圧やそこに賭ける想いを考えると、背負うものがあったからこそ、簡単には投げ出せないし、背負うものがあったからこそ、あんなにも強かったのだと思います。

一流のプレイヤーがそのプレーだけではなく、人格者の資質を兼ね備えているのも、誰かの為に一生懸命になれる人だからなのかもしれません。

価値観

Posted by benrinahito