ありがとうという言葉
こんにちは!
前回は、少し日本人の心についてお話ししたと思います。 その中で、『ありがとう』という、感謝の気持ちについて少し触れたと思いますが、今日はその『ありがとう』という言葉について思うところをお話しします。
『ありがとう』の語源は有り難しです。 文字通り「有ること」が「難い」、つまり存在することが難しいという意味です。 考えてみれば、いつも当たり前に朝・昼・晩と御飯が食べられて、フカフカの布団で寝ています。 外に出ても、当たり前に舗装された道路があり、標識や信号がいつも交通安全を守っていてくれました。
でも、よくよく考えれば、全てと言っていいほど、自分達の生活は自然のままではなく、どこかの名前も知らない人が作ってくれた農作物を食べたり、寝心地のいい枕を開発・製造してくれた枕でぐっすり眠れていたり、いつでも安全に通行できるように、アスファルトを舗装したり、信号機のメンテナンスをしたり、してくれていて、初めて今のような暮らしが成り立ちます。
もちろん、仕事じゃん!と思う人もいるかもしれません。 確かに、仕事だし、その人のするべきことなのかもしれません。
でも、それをどう捉えるかが大切です。 「感謝の心はたゆまぬ教養から得られる果実である。それを粗野な人々の中から発見することは出来ない」
これは、18世紀のイギリスの作家が言った言葉です。 その人によれば、感謝は期待するものではないそうです。 なぜなら、感謝の気持ちは人の天性にはない、誰かが、自分の為に時間や手間を割いたことに気付いて感謝するには、教育が必要だという事でした。
確かに、小さい頃から何かを貰ったり、助けて貰ったり、そんな時には「ちゃんとお礼を言いなさい」と口うるさく言われてきました。 だから、何かして貰えば、方程式のように「ありがとう」という言葉を口にしていました。 言葉の持つ意味すら考えていませんでした。
そんな自分が、『ありがとう』の言葉に気持ちを乗せれるようになったのは、仕事に対してやり方やマニュアルより、仕事への向き合い方を考えるようになった頃からです。 楽な仕事・きつい仕事ではなく、例えきつく大変な思いをしたとしても、その事で誰かが少しでも楽になったり、楽しい時間を過ごせたり…自分より相手に寄り添うという意識が生まれたからだと思います。
だから、その名前も知らない誰かも、きっと、その仕事の先にいる名前も知らない誰かの為に、時間や手間を割いてるに違いありません。 勿論、感謝なんて、求めるものではありません。 寧ろ感謝の気持ちそのものが、有り難い物だと思っています。
でも、誰かが自分の為に手間や時間を割いてることに気付いて感謝を伝えたり、また逆に、自分が誰かの為に時間や手間を割いてることに気付いてくれて言葉をくれたり、そんな事が、頑張る動機になったりします。
『ありがとう』って、当たり前ではないですが、もらえると物凄く嬉しい言葉じゃないでしょうか。
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