『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』
こんばんは!
今日昼の休憩中にTVを見ていたら、サッカー仏代表選手が、日本人スタッフへの差別発言で問題になっていた。
『人種差別=いけない事』それはその通りで、正に正論でしかありません。 誰でも知っているモラルです。
にも拘わらず、いつの時代も差別は存在すると思います。 何故、人は差別をしてしまうのか… その理由は、凄く根深いと、自分は思います。
体操の指導を行う過程で、より多くの子どもに技術的な成長をさせたい時、競争意識を植え付ける事で結果が出ることがよくあります。 誰が一番最初に逆上がりを出来るようになるか。 誰が一番高い跳び箱をとぶのか。 子どもたちは、競って一番になろうとしますし、一番になれば背筋は伸び、誇らしげに笑います。 競争自体、自分は悪いことだとは思いません。 ライバルの存在が自分を成長させてくれるからです。 でも一方で、競争の中でしか自分の存在価値や自信を持てなくなってしまったらどうなるでしょう。
自分の自信を得るために、自分より下と思う存在を自分の中に作り人を馬鹿にしたり、評価の体で蔑んでだり… そんな大人たくさん見てきたし、自分自身もそうなってしまいそうな瞬間を経験しました。 例えば後輩の仕事振りを同期たちと相談する体で、『あいつだめだな』と評価してみたり、今思えば、なんて思い上がっていたのだろうと思います。 今だって、そうなりそうな時に理性で踏みとどまっているだけだなって、自分の小ささにがっかりすることもしばしばです。
自分は昔からマイペースで、あまり競争することに興味はありませんでした。 それでも、人生の中盤に差し掛かっているいい大人が、自分の存在価値を知りたくてジタバタする中で、きっと無意識のレベルで人と自分を比べ、勝手に評価しています。 例えその評価が、自分が持っているモノサシで測った一方的な評価だったとしても、そこを拠り所にしてしまっているのだと思います。
アメリカの独立宣言の序文に『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』とありますが、実際にはそんな風に素で思える訳もなく、現実の自分はかろうじて人の上下を決めない様に理性で律して、そうなりそうな自分を抑えているだけで、なんて恰好悪いんだろうと思います。
『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』この域に到達するのは、一筋縄ではいきませんが、少しずつでも近付けるように頑張ります!
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