ないものねだりでは得られないもの

今日、住宅の廊下等に手摺を付けたいという相談を受けました。

プライバシーもあるので、詳細は控えさせて頂きますが、その方のお子さんは、歩行自体は補助具を付けてなんとか出来るようですが、転んだ時に何かを支えにしないと立ち上がるのが困難なので、手摺を希望されてました。                                                          手摺さえあれば、家に誰も居なくても自分で立ち上がる事が出来るのだと、そこには、腹を括り、子どもを信じ、なるべく自立できるようにと願う親の想いがありました。                         

特に親というものは、子どもの背負うものが大きければ大きいほど、自分が代わりたいと、不可能だと分かっていても、つい願ってしまうものなので、とても前向きな強さを感じました。

ハンデ(と感じていないかもしれませんが)を背負うと、人は無い物ねだりをしてしまいます。

タラレバばかりを並べます。

だっていくら、医学が進歩しても、器具の性能が上がっても、埋められないものは沢山あって、どうしようもないと分かっていても、悩んでしまうのもまた、人間ですから。

そんな事、嫌という程分かっているからこそ、尊敬します。                       そんな前向きな芯の強さに触れたら、力になりたいと思うのも、人間の性です。

と言っても、自分の出来ることなどたかが知れてます。                            幸い、建築の会社に勤めていた頃、社会福祉士指導のもと、何軒かの住宅に手摺を付ける案件を経験しているので、要領は分かります。                                                 でも、それしか出来ません。

その頃の自分は、社会福祉士の方の言う通りに、ただただ手摺を取り付けて居ただけでした。    

まさに作業です。

でも、その手摺を使う人のこれからをちゃんと知ろうとすると、単なる作業ではなくなります。

改めて、当時の自分の視野の狭さを考えると、凹みます。

でも、まだまだですが、その視野をほんの少し広げる事が出来たのは、自分自身が発達障がいと向き合った経験と、人との出会いのおかげです。 

マジで感謝ですね!